長い人類の歴史で、いじめとは常にありました。
人間は集団行動の生き物
つまりポリティカルな生き物です
いじめを受けても声が届きにくかったということもあり
表面化していないイジメもあります。
なぜいじめはあるのか?なぜなくならないのか?
いじめについて考えていきましょう。
水槽の中で生活していませんか?
家族という水槽
学校という水槽
会社という水槽
島国という水槽
私たちはとても小さな水槽で生活していることがわかります。
大海の魚たちは食べたり食べられたりしますが
いじめをしません
大海でまた再開できたとしたら奇跡的ですね
人間はその人といることが当たり前だと思ってしまいがちです
そして、距離が近くなればなるほど、相手が思ってた人じゃなかったり
自分のモノサシで計れなかったりするとストレスになります
選択肢を狭めていませんか?
本当にその選択肢しかないのか考えてみてくださいね
日々の生活で、この人とは二度と会えないかもしれないと思って一日を過ごしたことはありますか?
私は実はありませんでした(涙)
いつでも会える~とか、また今度~とか思っていたんですね
いじめの心理もそうです
ちょっとからかっても大丈夫だろう
明日も今日と変わらないでしょ
でもそれは、見て見ぬふりをする傍観者になっているかもしれません
静かに仕事してた人が会社を辞めたり、クラスメイトが登校しなくなったり
ありませんでしたか?
限られた水槽の中で、認められなかった人たちは逃げ場がないです
でも、逃げ場を無くす必要ってないですよね?
私はこの狭い水槽から出られる方法はないかなと考えています
そう、選択肢を他にないか探す事から始めましょう
一つは学校をオンラインにすること
二つ、会社も在宅でできるようにすること
三つ、どの国の人でもできるような仕事を作る事
この三つです。
決めつけないように生きましょう
私たちは誰一人として完ぺきではありません。
理解をして理解される生き物です。
自分のモノサシで人を計る必要はありません。
相手に怒りや不快感を感じたら離れられる環境はとても大切です。
相性の悪い生き物を一緒の水槽にいれる必要はないのです。
無理をして傷だらけになって血まみれになっていませんか?
例え「私」を認められなくても
それで良いんですよね。わたしたちは生き物ですから
たった数百人の水槽で
あなたの価値はわかるはずがありません
イヤイヤ学校に行く必要はないです。
義務教育の形も見直されはじめました。
昔からのこの教育方法でいいのか?疑ってほしいです。
人と違う事って財産です。大切にしましょう
常識を疑いましょう
生きづらさを隠すのはもうやめましょう
雇用されなくても、会社がなくても、自分で仕事が作れるように、
1人で社長でもいいです。
1人でもコミュニティです
すこしずつ、好きなことやってみましょう
一緒に前に進みましょう